(悪狐伝〜前編〜)
平安時代。人皇77代後白河天皇の御世のこと。世は、七十五代の御門鳥羽天皇が院となり、院政の全盛期を迎えていた。
鳥羽院の御所を警護する北面武士坂部庄司蔵人行綱は、娘を伴い、都清涼殿へと急いでいた。子どものいなかった行綱は、
清水観音に願をかけた後、捨て子であった娘を拾い、蝶よ花よと育て、15の年を数える頃となったが、その才色兼備の程は、
都の噂に上り、その噂を聞きつけた鳥羽院の命により、宮仕えさせるため、清涼殿へと向かっていた。
清涼殿で親子を待ち受けた関白藤原頼道は、鳥羽院よりの言伝として、和歌の題を提示し、一首詠むよう伝える。
その題は、「独り寝(独り寝の別れ)」。娘は、その才知を絞り、一首の返歌を為す。
独り寝の 寝屋の灯火 ふと消えて
我陰にさえ 別れぬるかな
(意訳 独りで寝ている寝屋の灯火がふと消えて、一人ぼっちだと言うのに私の影もお別れになってしまいました。)
ありえぬ「独り根の別れ」を詠んだ娘の才知の程に感服した関白は、その才色兼備の娘に敬意を表し、「玉藻御前」と言う名前を進上する。
ここに日本の歴史上稀代の悪女と歌われる「玉藻御前」が誕生する。
かくして、玉藻は、朝廷に騒乱を呼び起こし、巷は、数々の怪異に見舞われる。これを重く見た関白の弟大納言は、信西入道らとはかり、
その根源は、玉藻にあるとし、その確証を得んと安倍晴明五代の孫にして時の播磨守安倍泰親を尋ねる。
泰親は、その怪異こそ玉藻が元凶であると占い、その正体こそ畜生の類の変化であると見抜き、その正体暴くべく、
五行百経に精通すると言う玉藻御前に、陰陽道についての問答と称し、問答を迫る。
しかし、そのこと如くを返され、遂には、あらぬ嫌疑を掛けられ、打ち負かされてしまう。
泰親は、日ごろから信心寄せる加茂明神に仕える巫女を呼び出し、巫女の口から神意を伺う。
玉藻の御前こそ、唐・天竺にあって大国を破滅へと導いた三国伝来金毛白面九尾狐の変化である確証を得た。
更に、巫女より明神の弓矢を授かり、神道蟇目行事をもって、最後の決戦の末、玉藻は、白面の正体を現し、内裏を飛び上がり、
下野国那須野が腹へと逃げ去っていく。
この後、泰親は、この旨を鳥羽の御門に奏上し、天皇は、三浦介源義純と上総介平広常の両弓引きを悪狐退治へと向かわせ、
物語の舞台は、動乱の都清涼殿から、坂東下野国那須野が原へと移っていく・・・・
この演目は、「悪狐伝中編」へとつながります。